渋谷の暴徒 観察から感じたことがあります。

自分の頭で考えてない云々はただの感想なので根拠ではないな。そもそも違いも見えない。
ここはスルーしつつ、最後のなぜ暴れるのかについては考えてみよう。
チンパンジー的な本能に根差すものだと思うけど。詳しくはブログに書くか。#じょせふピックニュース
https://t.co/wjxz9UY8o2— joseph (@marcuryJr) October 30, 2018
毎年他人事のように見ていたニュースですが。
お仕事の関係で31日に渋谷へ行かなければならない事態となり、急遽不満が溜まったのでブログ化しました。
完全に自分勝手なやつです。
それにしても昼間も臭いです渋谷。。。
さて。
今回僕がツイートとして残したのはこちらの本から影響を受けた言葉。
生物としての人間の根源
この本は人間の中にはチンパンジーとボノボが共存しているという話です。
具体的には、
残虐性をチンパンジーから、社会的な平和志向をボノボから引き継いでいるというのが本著の骨子です。
今回の、というか恒例になりつつある渋谷の暴徒。
彼らについてちらちら観察しているとやはり、案の定というか個人として残虐的であるようには思えません。
少し羽目を外している感はありますし、モラル的な側面で平均的な日本人像と比べて少々劣っていることは否めないですが、
キモとなるのはそこではないかと。
観察しているとよくわかるのが
ヒトが野生化していること。
例えば痴漢や暴走にしろ、性的な行動の頻発等、渋谷の街全体がある種の動物としてのヒトの本能を引き出していると推察できる。
まるで東京ジャングルみたいな笑
これ懐かしいなwww
こんな日にコスプレをして渋谷にくるということは、
ある種の精神的な開放を持ち合わせている訳です。そのベクトルはそれぞれですが。
生物としてのヒトと社会を構成する人。
これを数直線上に当てはめた場合、前者のヒトが集まる。
これが臨界点を超えたがために渋谷がジャングル化、つまりヒトのチンパンジー化が起こっているのかなと思いました。
冒頭でも述べましたが人類には誰でもDNAレベルでチンパンジー的な側面はあるので、
自分と全く違う存在として渋谷のチンパンジーを位置付けて議論するとおかしな方向に向かってしまいます。
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