地域活性化の本質 逗子を観察して僕が思うところ。

以前の職場の上司にも北海道好きがいた。なにをする訳でもなく、ただ現地に行くだけで良いんだと。
客寄せの手段は多くあれど、
移住に繋げるには言語化しずらい”空気感”を届けることが大事やね。
逗子や鎌倉なんかすごく良いもんな。#じょせふピックニュース
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地域活性化って言葉。
ざっくりした雰囲気でどこか絵に描いた餅感が否めない。
いろんなことをして各地域をそれぞれ盛り上げていこうよってことなんだけど、
最近は言葉が先行しすぎて肝心の目的地が行方不明になっているケースが散見される。
一体どういう地域が理想なんだろう。
よく出てくるのはこういう答えだ。
『幼い頃感じていた昔からの街の姿を残したい。』
ということ。
これはおかしい。
これではそれぞれの人が別々の方向を向きかねないと思うんだ。
なぜなら今の20歳の人と50歳の人が描く”街の姿”って絶対に違うから。
だからそういう描き方はすべきでないと僕は思う。
それではどういう姿が良いの?
もちろん地方によって全然違うことはいうまでもない。
そこで地元の逗子の描く先について考えてみる。
僕は逗子が好きだ。
おそらく逗子に住んでいる人は大抵同じようなことを言う。
地元愛がやたら強い人が多いんだ。
ただ僕が逗子を好きな理由はそこじゃない。
非常に言語化しづらいんだけど、
なんていうか絶妙な緩さがあるところ。
イメージを共有するために緩すぎる場所ときつすぎる場所についてお伝えする。
まず緩すぎるところ。
これは農村地域。
僕の実家である岐阜県なんかに帰省する度に思うんだけど、じいさんばあさんばかりでとにかく”ゆっくり”だ。
誰もこないし、何もない。そんな場所。
次にきつすぎるところ。
これは東京だとか大阪だとか横浜だとかがそれに当たる。
別の場所からの訪問民(観光客)が多すぎて、いつもせかせかしている。
ビジネスマンがそうなっているのはわかるんだけど、
そうではなくて、遊びに来ている人が同じくせかせかしているというのが違和感を感じる。
どこか楽しまなきゃいけない義務感にかられていると表現しても良い。
多くの人が来て、何でもある。そんな場所。
逗子は丁度よい。のが良いのかな
逗子って外から人が来ることもあるし、住民も生活しているホームタウン。
外部から人が来なすぎると時間は遅くなる。
外部から人が来すぎると時間は早くなる。
たまにイベントあったり、夏は賑わったりする。
でも基本的には地元民がメインの場所。
こういう地元民と外から来た人のバランスがめちゃくちゃ良い。
だから逗子にいると落ち着くし、かと言ってつまらないこともない。
ここが普段感じる良いところ。
僕の考える地域活性化の理想。
『住民と訪問民のバランスをより快適な方に進める。』ことなんじゃないかと思う。
快適な方っていう、あえて明確に方向を定義していないのは、それぞれの住民が良いと思う塩梅にすべきだから。
現在の地域活性化に対する不満
pokemonGO in横須賀なんかもそうだけど、
あらゆる自治体は訪問民の増加を通じて経済的需要を指標とした施策に走りすぎていると感じる。
訪問民ばっかり増やしても街は時間が早まりすぎて疲弊する。
もちろん訪問民が少ないならそうすべきだろうが、おそらく多くの自治体で足りないのは住民だ。
それならば”行く”ことの魅力ではなく、”住む”ことの魅力を伝えるマーケティングをすべきじゃないだろうか。
例えば地域を舞台にした映画なんかも良いだろう。
そこに住むというイメージ・空気感が伝わるコンテンツ作りこそ、今後ますます求められる。
現在多くの地域でやっているのは”行く”ことのマーケティング。
”住む”雰囲気を伝えるのは非常に困難だけど、
逗子の時間が快適であり続けて欲しいから、僕も貢献していきたいなぁと思います。
これ逗子の写真です。
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